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自己の内面 

3年前の七夕コンパ2次会、その朝方に椙大OGの伊村さんに言われたことを思い出しつつ、私の心の内を心のままに書き綴ってみます。読んで気分がよくなるものではありません。
それでも読んでみようって物好きな方、ご覧下さい。そして、何か思ったことがありましたら、よろしければコメントを。


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私は人の目を見て話すのが非常に苦手です。何故ならば、そうすることで、私の心の内の全てが相手に筒抜けにしまうんじゃないかという強迫観念に囚われ、どうしようもなく怖いからです。前に伊村さんにこのことを指摘された時には、しどろもどろな答え方しかできませんでしたが、この頃その事が具体的な形で分かってきました。
人間ってのは、全く捉えどころのない、自分勝手で卑怯な生き物です。その努力は、十中八九怠慢のために費されるんです。強いところを見るとそれにゴマをすりたがり、逆に弱いところを見られると、ぼろぼろになるまでひたすらにつけこむ。そういった人間の醜態(私に言わせるとそれは『人間の性(さが)』)、メディアなどを通じて多くの人に知られるか知られないかは、運の悪い人がたまたま目立ったことをしてしまい、そのために世間を大騒ぎさせているだけ。誰の心の中にも、そういう疚しいものは必ず存在するはずだ。それが一体どんなきっかけで外に出てくるのか、本当に、本当に怖い。もちろん、私がその例に漏れることなんて事は絶対にありません。今、私が自身ですら気が付かない「裏」の姿が、一体どういったきっかけで具体化するのか、と。さらに言えば、年齢が上がれば上がるほどそういう考え方が見についていくのでしょうが、私にはそうは思えず、何回りも年齢の低い子どもにすら、全く同じような感情を抱いてしまい、やはりダメ。純粋って一体何なんだ。必ず、そんなことを思ってしまいます。
そしてさらに考えると、私はそんな他人全てに対し、「本性」を無意識的に(あるいは、意識的な部分もあるかもしれないが)に隠しているのではないか、と思えてきます。その方法は多種多様。それは、物理の勉強であったり、オリエンテーリングをやることであったり、仕事に打ち込む姿であったり、他人に接する時の私自身の振る舞いそのものであったりします。先に書いたとおり、私は他人に本当の姿をさらけ出すのが怖い。だからこそ、何かもっともらしい「隠れ蓑」で自分を何重にも覆う。プラズマで言うところのDebye遮蔽が、まさにその状況を最も良く表しています。つまりは、中心にいる私の「本性」が、その周りにある「別の何か」を引き込むことにより、周りに「本性」を覆う「像」を作り出し、認識できないように隠しているんです。残念なことに、私はとても単純な頭・思考回路をしているために、器用さの欠片もありません。だから、自分をカモフラージュするだけで、とてつもないエネルギーを費やすわけです。それを抑える方法の一つとして、例えば「人の目を見ないようにする」ような行動にでるんです。世の中、そういう事を何食わぬ顔でやることができる人もいると思うと、その人をすごいと思います。それは、驚き・敬意と、軽蔑・恐怖の2面を併せ持った感情です。
さて、他人が私に対して作りあげた人物像、それは私自身が様々な手段を駆使して作り上げた、ある種の「像」です。いや、そうだと言い切ることはもはやできません。何故なら、もはや私自身さえもその真偽が分からなくなりつつあるからです。「嘘」も、何度も何度も塗り重ねられれば、それが「真実」として成り立ってしまうのです。また、この文章を読んで初めて、私という1人の人間の限りなく卑しい部分を見る方も、ひょっとしたらいるかも分かりません。その人にとって、今日この文章を読むまでは、私の作りあげた「像」が私そのものだと思い込まされてきたわけで、これもまた嘘を真実と捉えてきた一つのパターンでしょう。そう、一体何が本当で一体何が私の作り出した像なのか。分かるはずもありません。
正直、そういう像を作りつづけることに疲れることは事実です。その苦しみから逃れる手段はそんなにありません。何か別の苦しみを自らに科すことで気を紛らわすか、何かに取り組むことで気を紛らわすか、あるいは自ら命を絶ってこの世からいなくなるか、そのどれかでしょう。幸いにして、私の頭では3つめのものは選択肢は、今のところありえないです。何故なら、死ぬこととは逃げること、そしてそれは最もしてはいけないことだからです(両親から授かった大切な命をゴミみたく捨てるほど、今の私はバカではない)。1つ目の方法は、身近な例では、わけのわからない教科書を意味の分からなさにのた打ち回りながら読み解いたり、トレーニングでこれでもかと自分を追い込んだり、といったことをする。2つ目の方法は、例えば部の仕事であったり、世界選手権の仕事であったり、普段のオリエンであったり、研究であったり、普段の勉強であったり、ブログを書いたり、カラオケをしたり。大げさに言えば「数限りなく」あります。前者はそれだけで閉じた存在になるわけですが、後者はその過程において、また別のカモフラージュをしなければならない場合もある。でも、何かワンクッション入っているだけでも、だいぶ気が楽になるのには違いない。
学部2年の3月末、本当に何もやることがなく、そしてできることもなく、もうダメだと思うほどに凹んだ時期がありました。もはや、私自身すら、自分の「本性」が怖いって事でしょう。他人も、そして自分自身すらも怖い。こんなどうしようもない奴。所詮、私はそんな程度の奴ですから。。。

酷い文章でした。最後まで読んでくれた人、どうもありがとう。

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