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理系?文型? 

今更こんなこと考えて意味があるか知らんけど。。

現在、地元の友人に紹介してもらった哲学に関する本を読んでいる。
古代ギリシアの時代から現代まで、世界のいくつかの地域で(主に欧州だが)、
どのような思想があったかというのを200ページちょっとで俯瞰する。
個々の話を深追いをしないという点では、すごく雑学な本。

理学って、自然界を支配する理を探る学問だと思う。
使われるのは大抵は帰納的な手法、つまり「実験・検証」の積み重ね。
これは極端な話、軟弱な地盤の上にでっかいビルを建てているようなもので、
根本を揺るがすような反例が出たらそれで全てが崩れてしまう、
そんな可能性があるということを意味する。
まあ、反証可能だから理学は科学なんだよねぇ、たしか。

で、上の本を読んでて、哲学に対するイメージが変わった。
つまり、よく分からんことをただ延々と考えるものではなくて、
広い世界で一般的に成り立つ理を探す学問なんだなぁ、という風に。
思想は十人十色なわけで、何か一つのものに収束するとは思えないが。。
ここで用いられる手法は演繹的なもの、つまりまず「真理」ありきの世界。
数学とか理論は公理やそれに準ずるものから議論を始めて
新しい法則や定理を見つけていくもんだっていうイメージがあるんで、
手法だけだと自然科学の中でもこっちの分類に入るかな。

手法は違うけど、物事の本質を知ろうとするという点に注目すると、
理学も哲学も全然変わらないんじゃないかって思える。
その意味では、理学と哲学って切り離して考えるのはよくないよねぇ。
理学屋さんって、実は文型人間的な面があるんだよなぁ。
議論で決定的な力を持つのは、言葉じゃなくて数字とか記号だけどね。
逆でもいいかな。哲学屋さんって、実は理系だよなぁ。
ただし、数字を使わず、言葉の積み上げで議論するけどね。
ま、実用に重きが置かれる分野(工学とか)はこれとは明らかに異質だわな。

結局言いたかった事は何か。
それは書いてる途中に頭から飛んじゃった相変わらず頭悪いわ
でも、分かった事はある。自分が高校の頃に持っていたイメージ、
 数字に強い人→理系 / 数字に弱い人→文型
っていう風にラベル付けするのはなんだか良くない、ってね。
しかし、進路云々だけで片付けてしまうのは勿体無いので;後付だけど
 真実は何?正しいと仮定されている事は何?
という風にカテゴリを分けて物を見る習慣も今後身に着けられるといいなぁ、
って事も感じた。

と、何かいろいろ書いてきたけど、
最終的には無理矢理だが意味を見出す形で収まったみたいでよかったw

今後この手のぐだぐだな文を書くときには、結論は最初に殴り書きしよう。
…こんなとこに一つ大きな発見が!えらいぞ、自分!

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コメント

NoTitle

長文返信失礼(≧ω≦)

そもそも、ぼく(ら)が受けてきた、詰め込み教育の数学は、数学じゃない気がする。

だってやり方覚えて、使うだけだもん。

だから、大学入って、勉強放棄しちゃったのかも

もちろん、その詰め込みのおかげで大学行けたから感謝してるけどね

勉強しなかったのは自分の責任だし。。。

と、ぼくの話は置いといて

『哲学』と『理学』の本質が同じってのはぼくもうすうす思ってた。

思ってたから読ませてもらったんだ^^;

『本質』が同じってより、『目的』がおんなじなんだよね。

で、『理学』と『工学』は『目的』は違うけど『手段』は同じ。
たとえば数学的な解析手法や実験装置、プログラミングとかね。

つまり必要とされてる技術は似てる。

でも『知る』ためにやるのか、『作る』ためにやるのかって違いがあるよね。

そんな違いなんて受験生が知るはずもないから(オレだけ??)、得意科目で進路を選んじゃう。

進路指導でも基本的に偏差値の話しかしないし。

やっぱり、実力も必要だけど、目的も大切だよね。

だってそれが、入学後のモチベーションに繋がるんだから。

NoTitle

学校では今や生徒を導くべき教師も頭は受験でいっぱい。
というか、今の社会ではそうせざるを得ない、というのが正しいね。
もはや学校も、人生のほんの一瞬しか意味をもたないような、
テストの点数という全くどうでもいい数字だけのための存在だからね。
それがもろに現れたのが例の未履修問題だわな。

P様は嫌がってる詰め込み学習だけど、私は否定しないよ。
何故なら、詰め込まれるものは何かものを考えるための下地だからね。
問題は、ただ詰め込んだだけで全く使えてないとこだよね。
ただ一つ、受験用に偏差値という数字を高くすることを除いてね。

数字にならない面でのサポートは、
かなり自由な立場にあるかてきょがするというのも一つの方法かもね。
先生1人がクラス40人全員を見るのは色々な意味で難しいけれど、
個別指導であればやり方次第で自ら考える習慣を植え付けられる。
まあ、生徒も普段から数字に洗脳されてるから、
言ったところで分かってもらえるかはきわめて怪しいもんだけどね。

実力は、ホントに好きなことだったら遅かれ早かれつくんじゃね?
事を成すのに、一途に努力できる事以上に必要な才能なんてないしさ。
ま、再チャレンジが9割9分9厘9毛9糸9忽不可能な日本にあっては、
「遅かれ(晩成型)」では人生オワタ\(^o^)/になるからダメだけどさ。
うむ、悩ましい。。。

ただいま名古屋へ移動中。。

ちなみに私が理学部を選んだ理由は、知りたい欲求に尽きるね。
だから工学部はアウトオブ眼中、みたいな(腐れ死語w)。

あぁ、就職無理学部。。
音だけじゃなく漢字までピッタリだな。。
orz

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