スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

漢詩に関心 

午前中はいつも通りのバイト。漢詩を久々に見た。
孟浩然の「春暁」。それと、杜甫の「絶句」。
ついでに李白の「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」。
暗記テストの勉強だったらしい。手伝いがてら、私も一緒に暗記してみた。

春眠暁を覚えず、とか、河は碧(みどり)にして鳥は逾白く、とか。
単なる情景描写の羅列。中学校で習っていた頃は、
「何だコレ??つまんねぇ!」と思っていたもんだけど、
その後干支を一回りするくらい生きてから改めて読んでみると、
なるほどなかなか面白いもんだなぁ。
何というか、読んでいて具体的な絵が見えてきそうなところがいい。
文字を経由して詩の世界の具体的な情景が脳裏に浮かぶ。

そしてそれは、1人1人で違うものであるはず。十人十色?むしろ十人千色。
これまでの人生のどの場面を詩の一節一節に投影するのか、と言う感じで。
漢詩については、意味だけでなく音韻も付けて音から内容を認識できれば、
より一層魅力は引き立つんだろうなぁなんて、
平家物語の5・7調の文を思い出すと強く思うわけだが。。。

前にもちょっと書いたけれど、何かを論じた文章なんかは、
誰が読んでもただ一つの物を伝えられる必要がある。
任意の読み手に対してただ一つの事を伝えることのできる文章。
それはそれで価値のある物だと思う。
しかし「詩」は、任意の読み手がそれぞれ異なる情景を思い描き、
そして異なる解釈を加えられるものである。
「真実は一つだ!」という世界も良いが、
「真実は人の数だけ存在する」という世界もあながち悪くないもんだなぁ。
もちろん、その両面をしっかり見分けて生きていけるのがいいんだろうが、
現実はなかなか、ねぇ…。。

実際に私が春暁と絶句で思い描いた具体的な風景というは…
まあ、想像してみていただきたく。

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://ontheway.blog2.fc2.com/tb.php/976-03f908e6

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。